速度太郎の日記

ことばクリエイター(自称)の松本秀文が作品や雑文を掲載いたします。

もしも 明日があるなら

久し振りに、官公庁の資料を読んだ。以下が、報道などで争点になった箇所だが、正直に言うとそもそも2000万で足りるのかと考えてしまう。現状の経済状況の延長でいけたと仮定した話で、そもそも資料の執筆者自体が予測された未来には生存していない可能性が高い。
前述のとおり、夫 65 歳以上、妻 60 歳以上の夫婦のみの無職の世帯では 毎月の不足額の平均は約5万円であり、まだ 20~30 年の人生があるとすれ ば、不足額の総額は単純計算で 1,300 万円~2,000 万円になる。この金額は あくまで平均の不足額から導きだしたものであり、不足額は各々の収入・支 出の状況やライフスタイル等によって大きく異なる。当然不足しない場合も ありうるが、これまでより長く生きる以上、いずれにせよ今までより多くの お金が必要となり、長く生きることに応じて資産寿命を延ばすことが必要に なってくるものと考えられる。重要なことは、長寿化の進展も踏まえて、年 齢別、男女別の平均余命などを参考にしたうえで、老後の生活において公的 年金以外で賄わなければいけない金額がどの程度になるか、考えてみること である。それを考え始めた時期が現役期であれば、後で述べる長期・積立・ 分散投資による資産形成の検討を、リタイヤ期前後であれば、自身の就労状 況の見込みや保有している金融資産や退職金などを踏まえて後の資産管理 をどう行っていくかなど、生涯に亘る計画的な長期の資産形成・管理の重要 性を認識することが重要である。
金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書 「高齢社会における資産形成・管理」より 
定年退職後に仕事を継続するとしても、AIの発達や外国人労働者の増加などによって労働環境は大きな変革を起こすのは誰が見ても明らかである。今やっている仕事の延長で働き続けるのは困難かもしれない。今やっている仕事のほとんどが未来においては過去の遺物と化す可能性もある。
また、寿命が伸びることは喜ばしいことであるが、生きている実感のようなものを持てなければ死の「遅延」を行っているだけになってしまう。個人的には、長生き=幸福と考える価値観にも疑問である。webの登場によって切り開かれた空間は、個体が自らの思想だけで生きることができる環境が整備された。だが、代わりに個体そのものの肉体は依然として現実世界に縛られており、その乖離によってかえって自身を不安な領土へと導いている印象もある。
鮎川信夫の「もしも 明日があるなら」の一節を読みながら、生きている空虚とそれでも生き延びなければという意思の境界をさまよっている。
 
  ぼくは冷えた石段をおり
人影にまじって 新聞紙のうえをあるいてゆく
かたい心をもち 小刻みにひとびとにならいながら
うなだれて ぼくらを待っているバスに乗った
また明日 お会いしましょう もしも明日があるなら
 
鮎川信夫「もしも 明日があるなら」より